2006年08月14日
宮城 松島 瑞巌寺にて
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先日、ここにも良くコメントを頂いているmiffyさんのブログの記事に秋田県の道の駅 象潟(さきかた)の事が書かれているのを読んで、ふと思ったのが「象潟って確か、松島と何かあったなぁ。。。」と言うことでした。ハテ?いったいなんだったか。。。
発見しました、瑞巌寺の画像の整理をしてて偶然見つけました。そうです、秋田県の象潟と宮城県の松島は夫婦町だったのです。象潟の娘タニと、松島の若者小太郎の悲恋物語が両町を結びつけたそうです。
時は鎌倉時代、蜂谷掃部の子小太郎は、観音堂に梅の若木を植えてこよなく愛していました。小太郎が15歳の春、父蜂谷掃部が伊勢参りで道連れとなった象潟の商人森隼人と親しくなり、二人が国へ帰る頃には、森の娘タニと掃部の息子小太郎の縁組の話が出来上がっていました。ところが、帰国した父は小太郎が病死したことを知ります。掃部は森の娘タニに訳を話しましたが、いったん約束した以上は、小太郎の妻であり掃部家の嫁であると言って、そのまま松島の人となり、掃部夫妻に孝養をつくしたのです。そして、両親の亡き後は、瑞巌寺に入り、心月紅蓮の名をもらって尼僧となりました。紅連は77歳まで生き、人々はこの貞節を末永く称えたのです。これが縁で、象潟町と松島町は夫婦町となったと言う事です。
歴史って面白いですね。ちょっとスッキリしました(⌒▽⌒)アハハ!
いつもドライブ観光ガイドを応援して頂いてありがとうございます。みなさんの応援が私のやる気に繋がります。
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発見しました、瑞巌寺の画像の整理をしてて偶然見つけました。そうです、秋田県の象潟と宮城県の松島は夫婦町だったのです。象潟の娘タニと、松島の若者小太郎の悲恋物語が両町を結びつけたそうです。
時は鎌倉時代、蜂谷掃部の子小太郎は、観音堂に梅の若木を植えてこよなく愛していました。小太郎が15歳の春、父蜂谷掃部が伊勢参りで道連れとなった象潟の商人森隼人と親しくなり、二人が国へ帰る頃には、森の娘タニと掃部の息子小太郎の縁組の話が出来上がっていました。ところが、帰国した父は小太郎が病死したことを知ります。掃部は森の娘タニに訳を話しましたが、いったん約束した以上は、小太郎の妻であり掃部家の嫁であると言って、そのまま松島の人となり、掃部夫妻に孝養をつくしたのです。そして、両親の亡き後は、瑞巌寺に入り、心月紅蓮の名をもらって尼僧となりました。紅連は77歳まで生き、人々はこの貞節を末永く称えたのです。これが縁で、象潟町と松島町は夫婦町となったと言う事です。
歴史って面白いですね。ちょっとスッキリしました(⌒▽⌒)アハハ!
いつもドライブ観光ガイドを応援して頂いてありがとうございます。みなさんの応援が私のやる気に繋がります。
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この記事へのコメント
1. Posted by miffy 2006年08月15日 00:43
瑞巌寺に行ったことがありますが、こんな歴史があったとは知りませんでした。本当に「ドライブガイド」だとつくづくまた思ったりして(笑)
あと無事に教えていただいたあのお店にもたどり着きました。詳しくはそのうちアップしますが、本当にSpecial Thanksです。
あと無事に教えていただいたあのお店にもたどり着きました。詳しくはそのうちアップしますが、本当にSpecial Thanksです。
2. Posted by マイ 2006年08月15日 13:13
象潟は陸の松島といわれてますもんねー。
松島、今日姉達が行ってるらしいんですがもう、めちゃ混みですごいらしいです〜!
松島、今日姉達が行ってるらしいんですがもう、めちゃ混みですごいらしいです〜!
3. Posted by ホッシー 2006年08月15日 20:21
>miffyさん!
やっと思い出しましたよ〜スッキリしました(笑)
横浜の夜はいかがでしたか?ブログに記事がアップされるのを楽しみにしてますね。
道中お気を付けてお帰りくださいね
やっと思い出しましたよ〜スッキリしました(笑)
横浜の夜はいかがでしたか?ブログに記事がアップされるのを楽しみにしてますね。
道中お気を付けてお帰りくださいね
4. Posted by ホッシー 2006年08月15日 20:41
>マイさん!
昔は海の松島だったけど、土地が隆起して陸の松島になったそうですね。
本家松島は、物凄い混雑でしょうね〜駐車場も多くないしね、大変そう
昔は海の松島だったけど、土地が隆起して陸の松島になったそうですね。
本家松島は、物凄い混雑でしょうね〜駐車場も多くないしね、大変そう